学友会の昭和30~40年代の活動を記録した冊子を卒業生有志が制作
―「学生の自治」を求めた情熱を後輩たちに伝えたい
学生の課外活動などを学生の立場からサポートしている「学友会」。その歴史は古く、設立は1951(昭和26)年にさかのぼります。学園紛争が熾烈をきわめた1960年代には、学生間の政治的対立が深まる中、学友会は大学当局と協力して「正常化」に奔走しました。
このほど、昭和30~40年代に学友会の幹部を経験した卒業生有志により、活動記録誌が制作されました。そこには、大学生が最も熱を帯びていた時代の記憶を後世に受け継ぎ、「一人でも多くの学生に、もてるエネルギーを存分に発揮して多くもことにチャレンジする一助になれば」という思いがありました。
365体育备用网址_2024欧洲杯竞猜@学友会は、365体育备用网址_2024欧洲杯竞猜@が創立された2年後の1951(昭和26)年に設立されました。「365体育备用网址_2024欧洲杯竞猜@拾(十)年史」によると、当初、会長は象徴として学長が務めるものの、あくまで「学生の自主的運営に委す」としており、委員長はキャプテン会の互選で選任されました。1953(昭和28)年には「大学協力会議」というものが設けられ、大学から学生部長らが参加して毎月1回行われたこの会議は、学友会役員会が主催していました。その後も開学祭や大学祭(後の茨苑祭)の運営などに尽力してきました。
やがて日本各地で学生運動の機運が高まると、365体育备用网址_2024欧洲杯竞猜@においてもさらに高度な学生自治を要求する声が大きくなり、学友会の一部の学生たちが「自治会」という新たな組織形態を求めるようになります。そこに全国的な共産主義?社会主義の政治運動も絡み、学園紛争が激化。茨苑会館への立て籠もりなどさまざまな出来事が起こる中、学友会は大学の当局と協力して「正常化」を図る役割を果たし、その経験が当時のメンバーの大きな誇りとなっているようです。
今回制作された活動記録誌は、A4判カラーで96ページ。1957(昭和32)年から1970(昭和45)年にかけて、それぞれの年に学友会の役員を務めた方々が当時の活動についての手記を提供。貴重な写真や資料の画像も掲載されており、往時の茨大生たちの学生生活の姿が分かる、貴重なドキュメントになっています。
たとえば昭和37年学友会(第13期)の手記では、総会において、自治会系の幹部学生から、「学友会が、この重大な時期において、日米安保の破棄を民衆の先頭に立ってリードすべきなのにそれを怠っている反省がない。総括せよ」といった反対意見があり、会議が紛糾した様子が報告されています。
また、そうした状況の中で学生の対立を乗り越えるべく、昭和43年学友会(第19期)が企画したのが、1968(昭和43)年の茨苑祭における作家?三島由紀夫氏の講演会でした。手記ではその経緯が述懐されており、外観の2階部分に「茨苑祭 三島由紀夫講演会 国家革新の原理」と掲げられた当時の講堂の写真なども掲載されています。
この活動記録誌の制作の話が持ち上がったのが、今から2年前。呼びかけたのは、昭和37年学友会の会長だった黒田哲弥さんでした。「当時の役員たちの情熱を記録に残さないと後輩に申し訳ない」という思いから思い立ったものの、最初は関係者の「住所も名前も分からない状態」。それでも知りあいの糸を手繰るようにしながら歴代の学友会会長へとコンタクトを進め、その結果、黒田さんを委員長、小菅次男さん(昭和33年学友会会長)、五十嵐勇さん(昭和39年学友会会長/今年8月に逝去)を副委員長、小野瀬武康さん(昭和43年学友会)を事務局とする「365体育备用网址_2024欧洲杯竞猜@学友会活動記録誌作成委員会」が発足しました。
「刊行のことば」ではこう記されています。
大学では、今改めて、「学修者本位の教育」や「学生参画」のあり方が模索されています。学生の自治を巡っては、その思想も実践のありようも、また学生たちの政治意識も大きな変遷を遂げてきましたが、大学という存在を通して新たな社会をつくることに強い使命感をもち、自ら動いてきた先輩たちの熱い活動の軌跡には、胸を打たれるものがあります。
今回の記録誌は300冊制作され、365体育备用网址_2024欧洲杯竞猜@の各キャンパスの図書館の他、茨城県内の複数の図書館などにも寄贈されるということです。往時の記録に込めたメッセージに、みなさんも触れてみてはいかがでしょうか。